知即是空 2019.11.10-11.16

僕は長いこと大学にいたので、知の探求が職業だった。それは当然のことであったし、若い世代に知を伝えることは楽しかった。いまでもそれは変わらない。一方で「知即是空」、次第に知に実体があるのかと疑問を持つようになった。知が空しくなることも多くなった。

知即是空。若い人たちが知に対して好奇心を持つことはよくわかる。知がその後の人生において必須だからだ。学ぶことは将来への投資であるからだ。そうだとすると、先がない老人にとっては、知はどのような意味があるのだろうか。贅沢な悩みかもしれないけれど、知は空しいだけではないのか。

知即是空。知って果たして何になるのだろう。知ることだけが目的だとすると、それは単なる自己満足でしかない。ある人から言われた。実践をともなわない知は無意味だ。空しい。その通りだと思うけれども、一方で、老人にとってそう言われることは辛い。自分の体が思うように動かないからだ。

知即是空。知ることは、無条件でよいことなのだろうか。人は知ってしまうと、それを自らのために利用(悪用?)する欲望に勝てない。たとえば、いまの科学技術の最先端の知は、果たして本当に人類を豊かにするのだろうか。それとも空しくするのだろうか。

知即是空。知ることによって未来が絶望的になることもある。現代社会は深刻な課題を抱えている。人類の未来も危機的な状況にある。それを知ってしまうと、これでよいのかと焦る。もちろん自分ひとりでは何もできない。絶学無憂、むしろ何も知らない方が、人生を憂いなく過ごすことができる。

知即是空。理不尽とも思えるニュースが溢れている。なまじそれを知ってしまうと、腹立たしくなる。いつも義憤で怒り狂うことになる。特に老人はその傾向が強い。ただうるさいだけの老人になって、若い人に嫌われる。それによって、老人はますます空しい気持ちになる。

知即是空。最近つくづく思うようになった。頭の中は知で充填するよりも、空っぽのほうがいい。充填していると、人は傲慢になる。空っぽになれば、知が新鮮になる。知に対して謙虚になれる。そして空即是知、そこに新たな知が見えてくる。知が愛おしくなり、人にも優しくなれる。