負けるが・・ 2019.11.17-11.23

人生には勝ち負けがつきものだ。勝つこともあれば負けることもある。僕の感覚では、負けることがはるかに多い。そうだとすると、勝ち方よりも、負け方をしっかり考えておくことが、人生でははるかに大切だ。

「負けるが勝ち」という言い方がある。なぜ負けることが勝つことなのだろう。大きな勝利を得るためには、とりあえず小さく負けておいたほうがよい。そういうことなのだろうか。それとも、これは単なる「負け惜しみ」なのだろうか。

「負け惜しみ」は、自分の負けを素直に認めないで強情をはることだ。腹いせに、勝った相手に対して陰で悪口を言う。これを「負け犬の遠吠え」と言う。そのような負け方は往生際が悪い。どう見てもかっこよくない。「負けるが勝ち」でなく、本当に負けている。

「逃げるが勝ち」という戦略もある。「三十六計逃げるに如かず」とも言う。これは中国魏晋南北朝時代の「兵法三十六計」にある戦略だ。逃げることは、要するに戦わないことだ。そもそも戦うこと、それ自体に意味がなければ、戦わないに越したことはない。

「負ける建築」。これは僕が尊敬する建築家の言葉だ。ここでの負けるは、自己主張せずに環境に溶けこむことだ。これは建築に限らない。自己主張をすると敵も多くなって、勝つためにいらぬエネルギーを使うことになる。全体の調和も崩れる。むしろ負けることによって、自分も含めて皆が幸せになる。

より積極的に「負け方の美学」もあるかもしれない。どうせ負けるならば、かっこよく負けたい。せめて負けっぷりをよくしたい。負け方が美しければ、その負けは文学になるかもしれない。歴史に残るかもしれない。これは日本人には特に人気がある。日本人は判官贔屓だからだ。

人生で勝ちしか知らない人よりも、負けを数多く経験した人の方が、人間ができているような気がする。負けは、それだけを見ると負けであるけれども、長い人生では決してそうではない。これからは、負けてもそう信じて生きることにしよう。「負けるが勝ち」だ。