管理 2019.12.15-12.21

最近つくづく思うようになった。なぜ日本人は管理することに躍起になるのだろう。何か起こると必ず管理が強化される。管理すること、それ自体が当然だと思っている人があまりにも多い。その人たちは自分が管理されることも好きなのだろうか。

なぜ管理を強化するのか。不祥事が起こると、その管理責任が問われるからだ。管理=リスク管理、あるいはコンプライアンス管理であると思いこんでいる管理職からみれば、それは自分の身を守るために絶対であるからだ。そのような管理をくり返すと、角を矯めて牛を殺すことになる。

管理の強化は、その組織の業績の低迷につながることが多い。なぜか。管理が厳しくなると、現場はそれに従うことが義務になるからだ。勝手なことは許されない。それは結果として現場を委縮させる。創造への意欲を減退させる。創造性が低下すれば、組織の業績は低迷する。

管理しか頭にない人は、管理によって創造性が低下して組織の業績が低迷すると、その創造性を高めるために、どう管理したらよいかを考える。そして悪循環に陥る。上意下達の管理至上主義にそもそも問題があるのに、そこから脱却することは、本当に難しい。

ときどき誤解されるけれども、組織のトップは管理職ではない。トップの役割は、その組織のビジョンを示して、リーダーシップを発揮することだ。それを忘れて、トップが内向きの管理職になると、その組織は活力が失われる。組織そのものがおかしくなる。

研究も上意下達の管理を強化すれば、業績が上がるのだろうか。バブルが弾けて1995年に科学技術基本法が制定され、それに基づいて研究の管理が、研究費の配分も含めて強化された。研究者はその管理のもとで研究するように仕向けられた。自らの創意に基づく自由な発想の研究が難しくなった。

もしかしたら管理の反対語は信頼かもしれない。人を信頼できないから管理する。人への信頼は勇気を必要とする。もしかしたら裏切られるかもしれないからだ。性悪説に立って人を信頼せずに管理を強化した方が安全かもしれない。しかし、それでは未来はない。それは心しておいた方がよい。