年の瀬に何を思うか。年代によって違うだろう。この歳になると、人生を振り返ることが多くなる。そして、なぜか新しいことに挑戦したくなる。残された年月や時間が少なくなった。いま挑戦しなければという気持ちが、そうさせるのであろうか。
「若い人には負けません。まだまだ元気で頑張ります」。このような価値観は僕にはない。すでに元気でなくなったということもあるけれども、それ以上に、もはや頑張ろうと思わない。頑張らずに、気軽に、全身の力を抜きながら、新しいことに挑戦したい。
若くて元気だった頃と同じことに挑戦しても面白くない。老人にしかできないことがあるに違いない。この歳の僕にしかできないことが、きっとある筈だ。すでに若さはなくなった。体を動かすことも少しずつ不自由になりつつある。そのような老人にも、老人としての役割がある。僕はそう信じている。
新たな年を迎えて、新たな挑戦を夢見る。何に挑戦するのか。特に具体的な目標があるわけではない。そもそも目標を達成することには関心がない。後期高齢者になろうとする歳になって、無性に何かを始めたくなっている。ただそれだけだ。それが生きている証しだと思うからだ。
挑戦という字を手書きしようとしたら、逃戦と書いてしまった。ここに僕の深層心理がでているのかもしれない。確かに僕が挑もうとしているのは、戦いではない。戦いからは逃れたい。少なくとも人と競争するという意味での戦いには挑みたくない。
この歳になって嬉しいことは、自分自身の時間が若いときよりも多くとれるようになったことだ。これまでは時間に追い立てられて生きてきた。与えられたことをこなすのに精一杯だった。自由になる時間があれば、自分で何かを始めたくなる。果たして何を新たに始めるのだろうか。それを楽しみに生きる。
僕の関心の対象は、他ならぬ僕自身だ。残された人生、まだ知らない自分に会いにいきたい。そのために新たな挑戦をしたい。新たな自分を発見したい。一方で、そう言いながら結局は何もしないかもしれない。それでいい。それも含めて何でもありの挑戦なのだ。それが僕の老いの挑戦なのだ。