カレンダー 2020.01.26-02.01 

まだ幼稚園に入る前だったかもしれない。ある正月だった。新たな年のカレンダーが壁に飾られた。素晴らしい絵のその下に数字が並んでいた。それが何を意味するかを知ったときに僕の人生が始まった。いま自分が、カレンダーのその数字の日に生きていることを、初めて知った。

カレンダーによって、やがては僕も死ぬことを知った。カレンダーは僕に死も教えてくれた。このカレンダーは毎年更新されるけれども、あと70回新しくなったとき、多分僕はこの世にいないだろう。幼心にそう考えると寂しくなった。幸いにしてまだ生きている。

この歳になると月日が経つのが速い。あっという間に1年が過ぎてしまう。ほとんど納戸になってしまった書斎の去年のカレンダーは、結局1枚もめくられずにまた新しいカレンダーに取り換えられた。せっかくのカレンダーに申し訳ないことをしてしまった。

カレンダーの1週間はどこから始まるか。日曜なのか月曜なのか国によって違うらしい。イスラーム暦では土曜から始まると聞いたことがある。日本では昔は日曜だった気がする。いつから月曜が多くなったのだろう。それにともない、若い人は当然のように日曜は週の始めでなく週末だと思っている。

たしか高校のとき、友人が映画会社のカレンダーを教室に持ち込んで飾った。そこには僕と同年齢の憧れのスターが微笑んでいた。それを見たある英語教師が皆に聞こえるようにつぶやいた。「可憐だ」。生徒である僕たちはそれを聞かなかったことにして黙っていた。

まだ現役のとき、暮れになると数えきれない数のカレンダーが届いた。それぞれ工夫が凝らされて素晴らしかった。欲しい方にさしあげていたけれども、それでも余ってしまった。ところが定年とともに、それがなくなった。社会との縁が切れたことを、カレンダーがなくなることによって知らされた。

カレンダーを眺めるたびに思う。年月は決して後戻りすることはない。人生も同じだ。そうだとすると、カレンダーとともに、その日その日を大切にしながら生きるしかない。カレンダーの過ぎ去った日を×で消す、その営みが今日もできたことを感謝し、それが明日も明後日も続くことを祈りながら。