情報新大陸 2020.02.02-02.08

いまから四半世紀前になる。地球環境が問題となり、一方でインターネットが普及し始めた頃であった。僕はたびたび情報新大陸の可能性について講演した。人は将来、現実の大陸だけでなく、仮想的なネット上の情報新大陸でも生きるようになると。

情報新大陸には、二通りの意味がある。一つは社会活動や経済活動の基盤として機能する新大陸だ。それはインターネットによってすでに現実になった。いま一つは、人のコミュニケーション空間としての新大陸だ。そこでは物理的な距離の制約なしに、世界中の人と五感を駆使してつながることができる。

コミュニケーション空間としての情報新大陸は、90年代のハビタットが早かった。二次元空間にアバタ―を登場させてチャットができた。その後セカンドライフに代表される三次元メタバースが注目されたが、技術が追いつかずに伸び悩んだ。そしていまVR技術を背景に、再び脚光を浴びている。

20世紀後半から21世紀にかけて情報新大陸が登場したことには、時代的にも意味がある。近代になって人々は物質的な豊かさを獲得したけれども、地球に蓄積されたエネルギーと資源を使い果たしてしまった。そこに救世主として登場したのが地球に優しいとされる情報新大陸であった。

情報新大陸は本当に地球に優しいのだろうか。実際はそう簡単ではない。情報新大陸の中枢となるデータサーバーは、莫大な電力エネルギーを消費する。さらには、情報新大陸に支えられて現実世界の生産性が上がると、そこでの資源やエネルギーの消費も急増する。

情報新大陸の時代となれば、世界中で情報格差がなくなって平和になる。これもそう簡単ではない。情報新大陸は経済格差を世界的に広げる。経済格差が広まって、逆に情報格差が縮まると何が起こるか。当然ながら世界的に緊張が高まる。より豊かな地域へ向けて、物理的な人の移動も起こる。

世界史的には、まず森林草原の時代(先史時代)があって、都市の時代(古代)、大陸の時代(中世)、地球の時代(近代)と続いた。次の宇宙の時代はまだ技術的に間に合わない。そこに登場した情報新大陸は、果たして人類に幸せをもたらすのであろうか。出口が必ずしも見えない摸索が続く。