最下位 2020.02.23-02.29

「なぜ2番(2位)ではいけないのですか」。かつてこの言い方が問題になったが、トップを争うことに疲れ切っている人への言葉としては、わかるような気もする。ときにこう言ってあげたいこともある。「なぜ最下位ではいけないのですか」

最下位:トップは孤独だ。たとえばマラソンでトップを走っていると、視界には誰も見えない。それに対して最下位にいると、一緒に走っている仲間を全員見ながら走ることができる。すぐ前を走っている仲間を励ますこともできる。でもそれには条件がある。一人だけ離されないことだ。

最下位:考えてみればトップは面白くない。これ以上順位をあげることができないからだ。その意味では最下位だと夢がいっぱいだ。これから順位を上げる喜びが、誰よりもある。あえて最下位を狙う必要はないけれども、もし最下位になってしまったら、そう思って新たな出発の合図にしよう。

最下位:ゴルフにはブービー賞がある。ブービーは最下位という意味であるけれども、日本での習慣は最下位から2番目だ。これは難しい。頑張り過ぎてもいけない。サボってもいけない。だから賞を出す価値があるのだろう。僕はゴルフをしないけれども、友人にはなぜかブービー賞狙いが多い。

最下位:現実の世界ではいつも最下位で無能力扱いだけれども、ひとたび変身すると絶大な力を発揮する。ドラマでは、そのようなヒーローが人気になる。ネットの時代になって、実生活では最下位でも、ネットでは人気者になる。そのような生き方をする若者が増えてくるのだろうか。良し悪しは別にして。

最下位:現役の若い人がひたすらトップを目指して走る気持ちはよくわかる。それは生きる上で大切なことなのだ。一方で老人がトップを走っていたら、それはたまったものではない。むしろ老人は若い人を励ましながら最下位を走る方がいい。この歳になると次第にそのような気持ちになる。

何でもランキングしてトップを煽り立てる風潮に嫌気がさして、「最下位」をテーマにしてつぶやいた。つぶやいてみると、最下位にこだわることもつまらなくなった。大切なことは自分自身の生き方をすることであって、結果としてトップだろうが最下位だろうが関係ない。それでいいのだ。