オーラ 2020.03.01-03.07

言葉で説明することは極めて難しいけれども、オーラのある人とない人がいる。ある賞の選考委員会で、その人のオーラこそがこの賞に相応しいと発言したら、客観的でないと却下された。でも僕は信じている。人にはオーラがある。オーラがある人は素晴らしい。

オーラのある人は光っている。存在感がある。それは遠くからもわかる。そこにはエネルギーがある。できればわずかでも、そのお裾分けに預かりたいと思う。オーラのある人の周りには、自然に人が集まってくる。オーラにはそのような人を惹き付ける引力がある。

オーラのある人とは反対に、貧乏神が取り憑いているとしか見えない人もいる。その人がいるだけで、たとえば職場の雰囲気が暗くなってしまう。そのような人とはできるだけ離れていたい。いつ貧乏神が自分に乗り移ってくるかわからないからだ。

オーラのある人は、四六時中オーラを発しているのだろうか。そうだとすると疲れそうな気がする。それとも、いざというときだけ自然にオーラを発しているのだろうか。そうでないときは目立たずにひたすらエネルギーを蓄積する。オーラがある人は、きっとそれができているのだろう。

オーラのある人とない人を見分けることは簡単ではない。その見分けができる人を目利きと言う。どうすれば目利きになれるのか。そのマニュアルがあるわけではない。名画の鑑賞と同じように、オーラのある人と数多く接することによって、オーラの有無が自然に見えるようになるのだろう。

オーラが見えない人は、オーラは単なる主観的な思い込み、あるいは錯覚だとみなす。人を評価するときに、その人を直接見ずに、もっぱら客観的なデータを要求する。評価はエビデンスに基づくことが公正だと、ひたすら信じ込んでいる。

本当はオーラがないのに、そう振る舞っているだけの人がいる。オーラは自然に発するもので、自ら振舞うものではない。写真を撮るときに腕組みをして、いかにも自分が優秀であることを強調しても、そこにはオーラはない。むしろ本当のオーラは、謙虚さのなかにある。