腰痛 2020.03.08-03.14

腰を痛めてしまった。その激痛は突然襲ってきた。椅子から立ち上がるという何気ない動きをしたときに、魔女の一撃を喰らってしまった。それからの毎日が大変だった。かなり昔に痛風をしたことがあったけれども、それとは違う痛みに悩まされた。改めて腰の大切さを思い知らされた。

腰は足以外の身体のほとんどの部分を支えている。腰痛があると、それがよくわかる。立つことができない。歩くこともできない。椅子にも長く座っていられない。何よりもトイレに行けないことが辛い。腰が機能していないと、日常生活そのものに支障をきたす。

腰を痛くすると、地球に重力があることを実感する。腰には重力のセンサーがある。身体を重力がかかる垂直方向にすると激痛が走る。そのセンサーは人が文字通り腰に支えられていることを示している。腰という字は月(にくづき)に要と書く。腰はまさに体の要なのだ。

普段は腰を意識することはほとんどない。腰を痛くすることによって、健康なときは当たり前だったことが、必ずしも当たり前でないことがわかる。この歳になると腰痛に悩まされている友人が少なからずいる。これまでその気持ちを理解していなかったことを恥ずかしく思う。

腰が痛いと、何もする気がなくなる。文字通り腰が重くなる。何事にも弱腰になる。及び腰になる。別に屁を放ちたいわけではないのに、屁っ放り腰になる。腰の痛みは、単なる肉体的な障害ではない。ものごとへ対処するときの態度や姿勢にも関係する。

腰痛を口実にして、ほとんどすべての予定をキャンセルして、ひたすら怠惰を貪る毎日を過ごす。一方でこの病気は安静にし過ぎるのもよくないらしい。いつまでも腰痛に甘えていられない。そろそろ本腰を入れなければいけない。腰を据えて動き始めなければならない。

直接聞いたわけではないので勝手な想像だけれども、四つ足で歩く動物にはおそらく腰痛はない。腰痛は直立歩行する人類だけにある宿命なのだ。そうだとすると、これからも人として生きていくためには、その宿命と付き合っていかなければならない。そのノウハウを少し学んだことに感謝。でも痛い!