三大美人 2020.03.29-04.04

世の中が閉塞してくると、どうでもいいことをつぶやきたくなる。今週は歴史に残る三大美人についてつぶやく。例えば世界の三大美人は誰か。クレオパトラと楊貴妃は誰でも挙げるだろう。問題は三人目だ。日本では小野小町だけれども、欧米ではヘレネ―であることはあまり知られていない。

4千年の歴史を誇る中国では、別格の楊貴妃も含めて、西施、王昭君、貂蝉が四大美人とされる。越の西施(せいし)は隣国の呉を滅ぼすほどの美女であったが、妬まれて悲劇的な最期をとげた。顔が美しいだけでは歴史に残らない。国を亡ぼすほどの美女であり、悲劇の主人公であることが必要とされる。

日本では、衣通姫、光明皇后、そして蜻蛉日記の作者の藤原道綱母が本朝三美人と呼ばれた。允恭天皇の皇女であった衣通姫(そとおりひめ)は、衣を通して輝くほど美しかった。同母兄の軽太子と情を通じて、軽太子は伊予に流刑となり、衣通姫はそれを追って心中したと伝えられる。

戦いの時代にも美人はいる。源平三美人は常盤御前、静御前、そして巴御前で、なぜか源氏に偏っている。戦国三美人としては、まずはお市の方、細川ガラシャ夫人、そして秀吉の側室となった松の丸殿の名がある。いずれも美人であるがゆえに戦乱の世に翻弄された。

江戸時代は浮世絵がメディアだった。鈴木春信が描く明和三美人(笠森お仙、柳屋お藤、蔦屋お芳)の顔はみな同じであるが、たとえば背景に鳥居が描かれていれば、笠森お仙だとわかる。歌麿が描いた寛政三美人(高島屋おひさ、難波屋おきた、富本豊雛)は微妙に顔が描き分けられている。

明治になると、鹿鳴館の華として陸奥亮子、戸田極子、大山捨松が持て囃された。際立っているのは、新橋芸妓から伯爵夫人となり、ワシントン社交界の華にもなった陸奥亮子だ。大正になると、九条武子、柳原白蓮、江木欣々が大正三美人とされた。歌人や詩人から選ばれているところが大正らしい。

昭和の三美人は誰だろう。たとえば戦後の三美人として山本富士子、原節子、岸恵子がいるけれども、高峰秀子を熱烈に推す人もいる。平成そして令和になると、三美人を挙げることがもっと難しくなる。絶世の美女よりも身近なアイドルの時代になったからだ。