文明災 2020.04.12-04.18

21世紀になって災害が多発している。記憶に新しい地震と津波、そして今回の感染症。いずれも見かけは天災だが、哲学者の梅原猛は、東日本大震災を文明災と呼んだ。今回の感染症も、まさに文明災かもしれない。

文明災:中世の末期の14世紀に1億人の命を奪ったペストは、今から考えると文明災だった。13世紀にヨーロッパは大陸の大開墾をおこない経済が発展した。森林がなくなり天敵がいなくなってネズミが繁殖した。そのネズミが媒介したのがペストだったとも言われる。

文明災:人類は、コミュニケーション能力を獲得することによって集団の規模を大きくして、文明を発展させてきた。いまグローバル経済の時代となり、感染症はその弱点につけこんでいる。その拡大を防ぐために人の交流を断たなければならないとすれば、それは文明そのものへの問いかけとなる。

文明災:感染症は、人のコミュニケーション基盤を揺るがしている。たとえば顔は、人が文字通り対面でコミュニケーションする基本的なメディアであった。それによって互いに共感して連帯を強めてきた。ところがいま、その顔を覆うことが求められている。仕方がないとは言え、顔学者としては気になる。

文明災:感染症という文明災は巧妙だ。手強い。それはまずは人と人を分断する。次に国と国を分断する。感染症の拡大を防ぐという名目で国境が強化される。本来は国際協調によって解決に当たらなければならないのに、自国中心主義に陥る。責任を他国になすりつける指導者も現れる。

文明災:人類は文明の力によって繁栄してきたが、文明の力によって滅ぶのかもしれない。それでは余りにも悲しい。いまできることは感染症の拡大防止へ向けて、自宅でひっそりと暮らすこと、それはわかっているけれども、この教訓を今後にどう生かすか、それを考えることも忘れないようにしたい。

文明災は、文明によってもたらされ、文明そのものをおかしくする。それは文明の宿命なのかもしれない。一方で、そのような文明災にも打ち勝つ強固な文明を築くことが課題であるとする考え方もある。しかしそれはまた新たな文明災を生みだすことになる気がする。自問自答が続く。