このつぶやきで、自分自身に言い聞かせてきたことがあった。それは時事問題をできるだけ避けるということであった。一方でそれが難しいことも、よくわかっていた。少し油断すると、すぐそれに流れてしまうからだ。戒めの意味も込めて、時事問題についてつぶやく。
時事問題:つぶやきを10年近くも続けていると、当然ながらテーマが払底してくる。そのようなとき時事問題をつぶやけば、話題に事欠くことはない。社会は飽くことなく話題を提供してくれるからだ。しかしそれにとびつくことは、僕にとって逃げであった。あえて避けることを自分に課してきた。
時事問題:理不尽なニュースに触れると、思わず憤慨してしまう。それをつぶやきたい衝動にかられる。しかしそれは危険だ。衝動にかられたつぶやきは、明らかに冷静さを失っている。そのときは鬱憤を晴らすという意味でよくても、必ずや後悔することになる。
時事問題:さすがに時事問題を避けてつぶやけなかった時期があった。それは東日本大震災のときだ。社会全体が悲しんでいるときに、全く無関係なテーマで呑気につぶやくことはできなかった。直後の週は地震をテーマとして、その次の週は命の大切さを噛みしめながらつぶやいた。
時事問題:非常時には、頭の中はそのことで一杯になる。違う考え方をする余裕がなくなってしまう。自分を肯定する情報ばかりに接するようになる。そのようなときは、その情報に対しても、自分自身に対しても少し距離をおくことが大切だ。それができないときは、むしろ何もつぶやかない方がいい。
時事問題:社会が炎上しているときに、それに安易に同調することは危険だ。決していい結果を生まない。例えば9.11の直後は、攻撃された国の人々は炎上した。それは結果として無益な戦争を引き起こしてしまった。第一次世界大戦の直前のヨーロッパの民衆心理もそうであったと聞く。
時事問題:哲学者のアリストテレスは、人の生活を享楽的生活、政治的生活、観想的生活に分けて、時事問題に積極的に関わる政治的生活よりも、俗世間を離れた観想的生活に最高善があるとした。僕はそのような生活にあこがれつつも、いつも煩悩のなかにいる。当然ながら哲学者になれなかった。