僕が何かを判断するときの基準は、役に立つかではなく、面白いかどうかであった。ところが、それぞれのときに何をもって面白いとしたかは思い出せない。あるとき気づいた。面白くないことを列挙する方が、はるかに簡単だと。
人から言われたことは面白くない。上の方の筋からやるように言われると、もっと面白くなくなる。僕は小学校時代、親から勉強しなさいと言われると、それだけで勉強が嫌になった。研究も同じだ。業績を挙げることを強要されると面白くなくなる。あるときから大学の研究がつまらなくなった。
誰かがすでにやっていることは面白くない。誰もがやっていることはもっと面白くない。僕の研究者人生では、アメリカがやっていることは面白くなかった。アメリカの動向に敏感に反応している研究者がほとんどだったからだ。自分一人だけの孤独な研究の方が面白かった。
自分より優秀な人の後を追うことは面白くない。僕は優秀な先輩や同僚に囲まれて育った。それは幸運であったが、一方で悩みでもあった。この人達と競争したら、人生はしんどい。できるだけ距離をとった方がいい。優秀な人は興味を持たないことに挑戦した方が面白い。それが僕の人生哲学であった。
論理的に導かれることは面白くない。エビデンスがあることはもっと面白くない。そこに疑問を挟む余地がないからだ。曖昧な方がいい。言葉では説明できないことの方が面白い。その方が新たな発見がある。発見がなくても、それを追い求めるだけでも、面白い時間を過ごせる。
その先を予想できることは面白くない。10年以上前に大学を定年退職したとき、僕は常勤の定職にはつかなかった。今から思うと、どの職場もそこで何をやるかが予想できたからだ。それを粛々とこなすのも人生であるけれども、残り少ない人生を何が起こるかわくわくしながら過ごしたかった。
面白いことと面白くないこと、人生ではどちらが多いだろうか。おそらくは後者だろう。面白くないことを強いられるのが人生だ。でも、面白く思うか面白くないと思うかは主観だ。面白くないことを面白くやる術を身につければ、すべてとは言わないまでも、かなりのことが面白くなる。人生は楽しくなる。