不安で避けたいのはパニックだ。パニックは災害によって起こるが、ときとして被害をより深刻にする。14世紀のペストの流行のときも、それを神の怒りとして、さらには井戸に毒を投げ込んだとのデマによって、多くのユダヤ人が虐殺された。不安なときこそ冷静さが要求される。
パニックには個人的なものと集団的なものがある。個人的なパニックは、ある事柄が脳の処理能力を超えたときにおこる。論理的な思考ができなくなり、冷静に考えればおかしな行動を繰り返すようになる。集団的なパニックは、群集心理によっておこる。個人の判断を放棄することによっておこる。
パニックは不信感が引き起こす。特に上からの情報が信用できないと、自分で判断しなければという焦りを生じさせる。フェイクニュースを信ずるようになる。行政がパニックを防ぐために情報を隠したり安易に流したりすると、不信を増大させて、より深刻なパニックを引き起こすことにもなる。
パニックはしばしば暴動となる。それは災害に対する不安だけでなく、日頃の鬱積も引き金となる。それを煽る政治家もでてくる。すべてを外国のせいにする。戦争を起こすときも群衆のパニックは力になる。理性よりも感情に訴えた方が効果的だからだ。
パニックは危機的な状況で起こるが、生き残りの可能性がないときは、起こりにくいとされる。たとえば、日航機の事故発生時には、逃げ場のない機内で乗客は冷静であったと報告されている。逆に生き残れる可能性が僅かでもあるとパニックになる。我先に争って、状況がもっと厳しくなる。
パニックは人以外の動物にもある。それが習性としてあるとすれば、進化論的に何か意味があったのだろうか。パニックは強いストレスの下で、すぐの行動を促す。動物にとっては、そのような緊急の行動が必要だったのだろう。人の場合も生き残るために、積極的な意味があるのだろうか。
パニックに陥りやすい人とそうでない人がいる。どこが違うのであろうか。もともと不信感があって、自分で自分を守ろうとする意識が強い人はなりやすいのかもしれない。一方で、日頃から訓練を受けている人はなりにくいが、マニュアル通りの行動が必ずしもよいわけではないので難しい。