自己啓発 2020.08.02-08.08

自己啓発書が、書店の書棚に溢れている。地下鉄などの新刊書の広告もほとんどがそうだ。いま自己啓発はビジネスになっている。自己啓発書も含めて教材が多数売り出され、自己啓発セミナーも花盛りだ。ビジネスになるということは、そこに需要があるからなのだろう。

自己啓発は、自己を人間として磨こうとする行為とされる。それは素晴らしいことだ。でも、それがもっぱら仕事のための会社人間としての自己啓発だとしたら寂しい。競争に勝ち抜くための自己啓発も寂しい。会社や社会に踊らされているだけかもしれないからだ。

自己啓発書やセミナーの内容には共通したパターンがある。まずは自己を知る、そして自己の殻を破る、最後に新たな実践。この新たな実践が、たとえばカルト集団の勧誘につながるセミナーもあるとも聞く。安易に自己啓発を目指すと、そこには悪魔が潜んでいる可能性もある。

自己啓発音楽というものがあるらしい。サブリミナル的に聴いているだけで自己啓発ができるらしい。これも自己啓発かとびっくりしたけれども、ふと思った。もしかしたら川のせせらぎやそよ風の音など、自然の音そのものが自己啓発音楽なのかもしれない。ただ耳を澄ますことが大切なのかもしれない。

坐禅を組むという自己啓発もある。マインドフルネスとして人気があるとも聞く。禅とマインドフルネスは同じなのか違うのか。この問いに対して、ある禅師の答えは明快だった。自己啓発に役立つことを目的としている限り、マインドフルネスは禅ではない。禅は役に立たない。

僕は自己啓発書の類は原則として読まない。そこにいかに正しいことが記されていても、その通りに生きることは面白くないからだ。マニュアルに沿った生き方はしたくないからだ。たとえ正解でなくても、僕は自分自身で、それなりに納得した人生を素直に歩みたいからだ。

僕は個人的に勝手に90分話すだけの塾を開いている。それは必ずしも自己啓発を目的としておらず、役に立つ話をしているとも思えない。でも勝手な塾なのだから、勝手に自己啓発を目的として参加されても、まったく構わない。塾は完全に自己満足で、どう利用されるかは僕の関心でないからだ。