勝手に未来 2020.08.16-08.22

外出できない巣ごもり生活が続いて、少し自分の時間ができたので、勝手に未来を展望してみた。おそらくはそのとき僕はこの世にいない。無責任に勝手に予想することができる。一方で、子や孫はその未来を生きることになる。果たして無責任であってよいのか。そうも思いながら展望する。

技術の未来:技術が発展すると未来はどうなるのか。その発展は止めることができない。技術を人に合わせるのではなく、人が技術に適応することにより時代が変わる。インターネットもモバイルもそうだった。その延長上に未来がある。でも技術者として思う。そのように技術は奢っていいのだろうか。

日本の未来:日本はこれから人口減少社会に入る。それをどう捉えたらよいのだろうか。もしかしたらいまの人口がバブルなのかもしれない。人口減少してからが本当の日本になるのかもしれない。いまの課題は、過去の栄光?にしがみつくことではなくて、そのような未来へ向けて準備することだ。

世界の未来:成長と拡大の時代が終わって、その先が見いだせないまま競争だけが鼓舞されている。このまま進むと格差だけが拡がって、国際的にも国内的にもますます分断される。そしてすべてが自分第一になる。いま何よりも協調が必要な時代になっているのに、世界はいつそれに気づくのだろうか。

地球の未来:近代という時代は、過去から引き継いだ資源やエネルギーなどの財産を瞬時に使い果たし、地球環境問題という負の遺産を遺してしまった。未来の歴史書にこう記されるかもしれない。大切なことは、いま何ができるかだ。まだ間に合う。そう信じたい。

人類の未来:近い将来にシンギュラリティがきて、その後は人類も改造されてポストヒューマンになるとする予測がある。そのポストヒューマンにはAIが組み込まれて能力が格段に向上しているかもしれない。でも僕はそのような未来の人類には全く興味がない。不完全なままの、いまのヒューマンが好きだ。

自分自身の未来:そろそろ後期高齢者になる僕にも未来がある。少なくとも死ぬまでは、その先は別として未来がある。その未来だけは無責任にデザインしたくなる。どうデザインしようか。勝手に空想あるいは夢想するだけでも楽しい。それだけで終わってしまう可能性が高いけれども。