匿顔 2015.03.01-03.07

いまから約20年前に勝手に「匿顔」という言葉を使い始めた。高等学校の国語の教科書にも載った。もちろん「匿名」をもじっている。ネットの時代になって顔を匿すコミュニケーションが当たり前になった。それは何をもたらすのだろうか。そのような問題提起がそこに含められている。

「匿顔」は、コミュニケーションの形を変える。相手の顔色を窺わなくていい。相手かまわずに自分中心に発言できる。平気で嘘もつける。悪口や誹謗中傷も気軽だから、ネットが炎上することもある。匿顔のコミュニケーションは、そこでこそのマナーを必要とする。

「匿顔」は、コミュニケーションしている人の、人格そのものを変える。車を運転しているときに人格が変わる人がいる。それと同じように、現実の社会での紳士が、ネットではやたらに攻撃的になることがある。匿顔はジキルをハイドに変える。

「匿顔」は、社会の治安にも関係する。人は裸の自分の顔を一番見やすい所において見せているから悪いことができない。悪いことをするときは大きなマスクとサングラスで自分の顔を匿す。銀行強盗するときはストッキングをかぶる。現実の社会の治安は、顔を見せることで成り立っている。

「匿顔」にもいいことがある。それなりに心地いい。顔を匿すことによって勇気もでる。エネルギーが生まれる。かつて悪や権力に立ち向かったスーパースターは、顔を匿していた。かなり古い例になるけれども月光仮面しかり、バットマンしかり。彼らは顔を匿すことによってヒーローになった。

「匿顔」の社会は何を生みだすのであろうか。もともと都市社会は匿名であった。それによって自由な社会活動や経済活動が可能になり、それが社会のエネルギーとなった。大げさに言えば資本主義を生み、市民社会をもたらした。それと同じように、匿顔の社会は時代を大きく変えるかもしれない。

「匿顔」はネット社会だけかと思っていたら、最近は現実の社会でも、大きなマスクで顔を匿す人が増えてきた。必ずしも風邪や花粉症のためだけではないらしい。ネットでの匿顔に慣れて、現実の社会でも自分の生の顔を人前にさらすことに、抵抗を覚えるようになったのだろうか。