放送とその進化 2015.03.08-03.14 

僕はコミュニケーション技術の研究者として、放送にも関心を持ってきた。日本でテレビの本放送が開始されたのが1953年2月、僕が小学一年のときだった。街頭テレビの力道山に熱中した。そのときから僕のテレビとの付き合いが始まった。

真空管に始まるエレクトロニクス技術は、放送とともに発展してきた。家庭のオーディオ・ビジュアル機器も放送があることが前提だった。放送がなければコンピュータは生まれなかった。もちろん、いまの情報社会もなかった。放送技術者はもっと胸を張っていい。

放送は大きく変容した。1960年のカラー化はまだ中学生だったけれども、80年代からのニューメディア、衛星放送、ハイビジョン、地上デジタル、放送と通信の融合。そしていま、4K/8Kスーパーハイビジョンの開発が進められている。そのような時代に立ち会うことができた僕は幸せだった。

放送は、英語ではブロードキャストという。広く放つという意味だ。90年代前半に、これからはナローキャストの時代になると講演したことがある。その一部はすでにインターネット上で、不完全ながら実現した。その時代にあって、ブロードキャストの役割は何か。それがいま放送に問われている

メディアには、プッシュ型とプル型がある。テレビを中心とする放送はプッシュ型であることに特徴がある。プル型は、次第にネットで代替されていくだろう。だとすれば、プッシュ型の魅力をどこまで発揮できるか。それで放送の未来が決まってこよう。

視聴者には意識高い系と意識低い系があって、意識高い系はネットに流れて、意識低い系だけがテレビに取り残されたとする見方がある。それほど単純ではないと思うけれども、視聴率に依存している放送が、意識低い系だけを対象としていると、結局は自分の首を絞めることになる。

ネットの時代になって、電波を使った放送はなくなるのではないかと言われて久しい。いま、放送は様々な課題を抱えながら、しぶとく生き残っている。これから新たな役割を見つけて生き残り、さらに発展していくのか。それとも次第に消滅する運命にあるのか。厳しく温かい目で見守っていきたい。