プロフィール 2018.07.08-07.14 

講演や原稿を依頼されると、あわせてプロフィールの提出が要求される。そこに何を記すかいつも迷う。自分自身の人生がそれによって評価されているように思うからだ。いったい何をアピールすればいいのか。そもそもアピールに値する人生を送ってきたのか。

プロフィールは、横顔とも言われる。もともとプロフィールには、輪郭を側面から描くという意味があって、そこから人の横顔になって、経歴を表す言葉になったらしい。なぜ横顔なのだろう。古代ローマでコインに英雄が横顔で刻印されていたからだとする説もあるけれども、よくわからない。

人を客観的に眺めるときは正面顔よりも横顔がいい。正面顔はこちらを見つめているから、その視線を感じると、冷静にその人を観察できない。正面顔は見る・見られるの関係にあり、まさに現在進行形だ。過去も含めてその人の全体を知るには、確かに横顔の方が適している。

日本では、プロフィールに学歴や職歴をそのまま記すことが多い。与えられた様式や記入例もそうなっていることが多い。なぜ学歴や職歴なのだろう。それは日本がまずは学歴が大切で、その結果として職歴がある社会であったことを意味しているのだろうか。

僕は自分自身のプロフィールを箇条書きではなく、できるだけ文章形式で記すことにしている。もともと人生は箇条書き形式でばらばらにあるのではなく、連続した物語だと思うからだ。他人には面白くなくても、それは僕にとっては貴重なかけがえのない物語としてある。

プロフィールは、最終学歴から記すことが多い。いままでは僕もそうだったけれども、僕にとっての大学の卒業は、10年近く前の定年退職だ。もうそろそろ、その定年後の人生だけをプロフィールとしたい。定年前を引きずるのではなく、定年後のいまの自分を大切にして生きていきたい。

僕のプロフィールとして、いま気にいっているのは、「○○○○年○月○日に生まれる。現在に至る」だ。あるときこれを提出したら、もう少し付け加えてほしいと言われた。僕として付け加えることがあるとしたら「○○○○年○月○日亡くなる」。それだけでいいと、内心思っているのだけれども。