最近、人が幸せな気持ちでいるかどうかは、結局は自己暗示なのではないかと思うようになった。幸せを客観的に判断することは難しい。その人が、自分は幸せであると思っていたら、そう信じ込んでいたら、それで十分なのだ。 Continue reading
Monthly Archives: 6月 2015
曲学阿世 2015.06.14-06.20
「世間に阿り(おもねり)学問を曲げる」ことを「曲学阿世」という。漢の時代の史記・儒林列伝に「曲学して以って世に阿ること無かれ」とある。大学改革の旋風が吹き荒れている中で、改めてこの言葉の大切さをかみしめる。 Continue reading
謙虚さと科学技術 2015.06.07-06.13
最近考えることがある。「謙虚な科学技術」は、果たしてあり得るだろうかと。なぜそのようなことを考えるのか。それは、科学技術がいま傲慢になっているようにも見えるからだ。時代の行方を決める独裁者のようにも見えるからだ。 Continue reading
謙虚でない時代 2015.05.31-06.06
今の時代、人には謙虚さが美徳であると説きながら、時代そのものが謙虚さを失っているように見える。自分中心になってしまったように思える。なぜそのような時代になってしまったのだろうか。誰がそうしてしまったのだろうか。 Continue reading