錯覚とは、感覚器に異常がないのにもかかわらず、実際とは異なる知覚を得てしまう現象を指す。矢印を逆にしたミュラー・リヤー錯視のように、それが間違いであることがわかっていても、そのように見えてしまう、あるいは思ってしまうのが錯覚だ。人はなぜ錯覚をするのだろう。 Continue reading
Monthly Archives: 11月 2019
負けるが・・ 2019.11.17-11.23
人生には勝ち負けがつきものだ。勝つこともあれば負けることもある。僕の感覚では、負けることがはるかに多い。そうだとすると、勝ち方よりも、負け方をしっかり考えておくことが、人生でははるかに大切だ。 Continue reading
知即是空 2019.11.10-11.16
僕は長いこと大学にいたので、知の探求が職業だった。それは当然のことであったし、若い世代に知を伝えることは楽しかった。いまでもそれは変わらない。一方で「知即是空」、次第に知に実体があるのかと疑問を持つようになった。知が空しくなることも多くなった。 Continue reading
精神革命 2019.11.03-11.09
中国には老子と釈迦を同一人物とする言い伝えがある。老子化胡説という。老子は西方の関所をこえて姿を隠している。実はその後にさらに西方の未開地(胡)に行って釈迦となったとする説だ。確かに老子も釈迦も同時代だ。それは偶然なのか、それとも特別な意味があるのだろうか。 Continue reading
屁 2019.10.27-11.02
筋が通らない理屈を屁理屈という。屁のように何の役に立たない理屈のことだ。確かに屁には、値打ちがないつまらぬものという意味があるが、これは屁に対して失礼だ。屁を馬鹿にしてはいけない。たとえば手術の後にいつまでも屁がでないようだと、命が危ない。 Continue reading